続きです。
当時書いていた日記を見ながら振り返っていきます。
上司に退職を告げた後、私は小学校の児童クラブ(放課後に親の仕事が終わるまで子どもを預かってくれる施設)に長女を迎えに行きました。
児童クラブを利用できるのは、両親とも働いている家庭だけ。
私は今日で退職したことを児童クラブの先生に話しました。
すると先生は「では今この場で書類を一枚書いてください」と、私のところに紙を一枚持ってきました。
住所や名前を書くだけの書類だったのですが、、
なんだか私はパニックになってしまい、自分の家の番地が分からなくなっていました。
「先生すみません、住所が思い出せないです」と言うと、先生は以前に私が書いて出した児童クラブの利用届を出してきてくれ、住所を読み上げてくれました。
「すみません…」と謝る私に、「大丈夫ですよ~出てこないときあるよね!」と声をかけてくれました。
お世話になりました、と挨拶をして、長女と車に乗り、今度は次女の保育園へお迎えに。
しかし私は運転しながら「住所も思い出せないなんてヤバすぎる…いよいよおかしくなってる、私の脳…」と今まででも最大級の不安に襲われていました。
するといきなり、頭がズーーンと重くなりました。
頭の中がかき混ぜられている感覚でした。
そしてまたフッと頭は軽くなりました。
すると、恐怖だけでなく、すべての感情が薄くなりました。
このストレスは耐えられない!と私の脳が判断し、感情の回路を切ってしまったのだと思いました。
同じような体験をした方、いらっしゃるでしょうか?
いらっしゃったら、ぜひその体験をコメントでお聞かせ願いたいです。
少なくとも私の周りの人には理解してもらえませんでした。
そして次女の保育園に着き、保育園の先生にも「体調が悪くて今日仕事を退職しました」と報告をして、家へ帰りました。
家へ帰り、冷静に一人になってみると…
本当にすべての感情が薄れていて、うれしいという気持ちや、子どもを見て可愛いなあという感情、逆にイラっとする感情、そしておなかがすいたという感覚もなくなっていました。
今になってみるとこの時が不安障害からうつ病も併発した瞬間だったと思います。
物事に集中することもできない。
常に自分の最悪の体調に目が行ってしまう。
内科でもらったデパスを飲み、薬が効いている短い時間だけ、以前の自分に戻れるような感じでした。
しかしすぐに効果は切れるので、また同じ状態に戻る。
内科の先生には「あんまり薬飲みすぎないでね」と言われていたので、不安が襲ってくるのをただただ耐える時間も多かったです。
その頃は常に頭がピリピリと神経痛のようにもなっていました。
外出にも不安が出てきて、スーパーなどの買い物はもちろん、次女の保育園のお迎えにさえ、怖いという感情がありました。
カレンダーを見て”保育園遠足、お弁当作る”などの先の予定を見るだけで、なぜか怖くて仕方ありませんでした。予期不安です。
体調不良で仕事を辞めてしまった私を心配し、実母が毎朝おかずをもって来てくれ、私とおしゃべりしてくれました。
予期不安について話すと、「なんでそんなことが怖いの?お弁当作るだけなのに?」と不思議がっていました。
私も健康な頃なら、理解できなかったと思います。
実母はまだ50代で仕事もしています。
それなのに私の家族の分のおかずを作って持ってきてくれ、私の心が少しでも軽くなるようにおしゃべりしに来てくれていました。
実際、その頃の私はご飯を作るのも難しくなっていました。
今までは考えなくても適当にパパッとご飯を作っていたのに、食材を前にして、どのように作業すればいいのか分からなくなっていました。
脳が働くのを強制的にやめた感じでした。
続きます!
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