こんにちは!
今回は、私が不安障害になった経緯や症状の経過について書いていこうと思います。
(節約しよう!と思ったより先に不安障害を発症したほうが先なので、時系列的に病気のことを先に書かせていただきます。)
長くなりそうなので、何回かに分けて書いてきます。
ご興味のある方だけお読みください。
今現在メンタルが弱っていて、読んだらメンタル落ちそう…と感じる方は読み飛ばしてください。
ちなみに今も心療内科へは月に一回通っていますが、発症当時と比べると、8~9割ぐらいは治ったかな?という状況です。
週に4~5回、一日4~5時間のアルバイトにも問題なく行けています。
ここまでたどり着くのはかなり大変でしたが、自分なりに症状をコントロールする方法なども身に着けてこれたと思います。
現在、発症してから2年ほどです。
前置きが長くなりましたが、私の闘病記スタートです!
発症当時から書いていた日記です。
なんか写真縦になっちゃう(笑)
私が不安障害を発症したのは、31歳の時。
もともとは接客業のアルバイトばかりしてきた私ですが、その頃は製造業でパートをしていました。
金属製品を扱う工場です。
なぜ工場で働くことにしたのかというと、接客のアルバイトはシフト制で月の収入もそれほど多くなく、暇な日は早く上がらされたり、一年を通しての収入が安定しないところがありました。
その点、製造業のパートであれば、時間も毎日決まった時間。
月~金までしっかりと働くことができます。
人と接する仕事も好きでしたが、黙々と作業するのも嫌いではありませんでした。
私の勤め先の工場はかなりの少人数で、私以外は全員男性でした。
はっきり言ってしまうと、おじさんの中に、主婦の私が一人、という状況でした。
それでも居心地が悪いという感覚はなく、みなさんとても温かく接してくださり、今も感謝しています。
業務的には、金属を機械にセットし、スタートボタンを押す。
機械加工が終わったら、新しい金属をセットしてまたスタートボタンを押す、という作業がメインでした。
機械が加工している間に、違う機械にセットし、スタート。
一人で3台くらいの機械を動かしていました。
忙しいときは、4台の時もありました。
それぞれの製品にはもちろん納期があり、最初のうちは”やったるで~!”と、やる気満々で頑張っていました。
工場でラジオも常に流れており、音楽が好きな私にはうれしかったです。
また、休憩時間には会社が用意してくれたお菓子を食べ放題、という環境も素晴らしかったです(笑)
おじさま方とたわいもない話をしながら、おせんべいバリバリ…という日常でした。
そんな日々を送っていたのですが、ある日新人さんが入ってきました。
その方もまたおじさま。40代くらいだったと思います。
休憩時間などに話しかけたりももちろんするのですが、なんだか元気がなく、目もあまり合わせてくれず、反応もスローペース。少し違和感がありました。
次回に続きます!